【はじめに】
「AIが生成したイラストなのに、“人間が描いた”と勘違いされて大絶賛されてる。これって“騙されてる”んじゃない?」
「いや、結局は作品そのものが良けりゃいいだろ。誰がどうやって作ったかとか、付加価値ばかり気にするのって滑稽じゃない?」
こんなやりとりがSNS上を駆け巡っている。
AI生成画像、いわゆるAIイラストが登場して以来、ネット上の“絵師”コミュニティでは新旧の価値観が入り乱れている。絶賛、嫌悪、無関心、様々なリアクションがあるけれど、根っこにあるのは「AIは学習元(既存イラスト)を勝手に使ってないか?」「それって著作権や倫理の問題は?」「結局AIって誰のためにあるの?」という疑問だ。
そしてこの話題はイラストだけじゃない。小説やライティングの世界でも、「AIに文章の一部を書かせているなら、果たしてそれは“自分の言葉”なのか?」という問いが浮上している。ペンタブやデザインツールが当たり前になったイラスト界や、WordやGoogle Docsを使うのが当然な文章執筆の世界――すでに創作の現場には大小の“道具”があふれている。
筆やペンを握らずとも、紙を使わずとも、少し前よりはるかに洗練されたビジュアルや文章を作り出せる世の中だ。そこへさらにAIという“自動生成ツール”が加わったことで「おいおい、これはもう自分が作ったって言えるのか?」という混乱が生まれたわけだ。
この記事では、そんなAIと創作にまつわる様々な論点を整理しながら、「道具が変わっても人間の“創作衝動”は消えるのか?」とか「どこまでが自分自身の表現と言えるのか?」といった疑問について、できる限り深堀りしてみる。専門的な法的知識や確定した事例というよりは、今まさにSNSやクリエイターコミュニティなどで交わされているリアルな議論を下敷きに、“今”感じている人も多いモヤモヤに触れたいと思う。
【1. AI時代に勃発した論争:騙された? それとも気にしすぎ?】
● 「AIイラストを堂々と投稿→30万いいね。これ騙されてるよな?」
たとえばSNSで、圧倒的な美麗イラストがアップされたとき、見る側の第一印象は「すげぇ…描いた人プロじゃん!?」になるわけだ。ところが、あとから「実はAIで生成しました」と知ると、「え、なんだ…人力じゃなかったのか」と感じる人もいる。そうなると「騙された!」と憤慨する人が出てくるわけだ。
一方で、「作品そのものを見て“綺麗”“好き”と思ったなら、それでいいじゃん。誰が描いた(生成した)かで評価が変わるなら、お前は“付加価値”でしか作品を見てないんだな」という強気の主張もある。
要は「絵の良し悪しは作者の技量や経歴、手法よりも“最終的なアウトプットそのもの”で決まる」と考える派と、「実際にどんなプロセスを踏んで描いたかを含めて作品の魅力を判断したい」と考える派に分かれてるわけだ。
● プロフィールにAI表記があれば十分? それともポスト(ツイート)本文にも書いてよ
「AIイラスト」「AIアート」のタグをツイートにつけるかどうか――これも大きな揉めポイント。
「プロフィールに“AIイラスト描いてます”って書いてるし、たまにハッシュタグも付けてる」という程度だと、タイムラインを流し見するほとんどの人には伝わらない。結果、膨大な“いいね”が集まったりするから、「いやいや誤解を与えてるだろ」「騙してるつもりがなくても、それは不誠実」と責められがち。
逆に「明記するかどうかは自由だろ? 表記しないことが罪になるわけでもない。そもそもみんなプロフィールなんかいちいち見ないんだし、そこまで“AIアート”って書かせたいなら、アンチAI派が“手描き限定”のタグでも作ればいいじゃん」という開き直った声もある。
本来なら運営側や業界レベルでルール化してくれれば落としどころが見つかるかもしれないが、今は明確なガイドラインがない(場所によっては利用規約で一部ルールを定めているが、広く合意されたものではない)。
【2. 著作権・学習データの問題:AIは盗作か、それとも合法か?】
● AIに学習させることは著作権侵害?
AIがモデルを作る際、ネットに上がっている膨大な画像データを勝手に読み込んでいる……ように見える。これを「他人の作品を無断で食わせてるんだから盗作だろ!」と怒る人がいる。
しかし、現状(国や地域によって多少異なるが)「AIに学習させる行為自体は著作権の複製にあたらない」とされることが多い。もちろん議論の途中であり、法整備はまだ過渡期だ。ただ、少なくとも今すぐ違法とは言えないケースが多いため、「法的にOK」だとするAI推進派は強気に出る。
一方、「法的にセーフでも、道徳的にはどうなの?」と感じる絵師やクリエイターが多いのも事実だ。自分たちが丹精込めて描き上げたものを、無差別に学習データとして取り込まれ、「そこから出力されたイラストで『稼ぐ』『有名になる』なんて不公平すぎる」という感覚だろう。
● 人間だって他人の絵を参考にしてるじゃないか
「結局、人間だって模写をしたり、好きな作家のタッチを真似たりして技術を培ってきただろ? AIと変わらないじゃん」という反論もある。
たしかに、人間の芸術は歴史的に先人の影響を受けて発展してきた。しかし、AIが取り込む量とスピード、再現度は桁違いだ。そこへの嫌悪感は決して小さくない。「あまりにも大量の作品をワンクリックで取り込むなんて、ズルいじゃないか」と。
とはいえ、AIを否定すると最新のテクノロジーを全否定するようで、それもなんだか大人気ない。
こういったグレーゾーンのモヤモヤが、「AI絵なんてクソだ」VS「新技術を受け入れろよ」の対立を過熱させる。
【3. “道具”としてのAIと“創作の主体”は別物なのか?】
● ペンタブとAIはどこが違う?
ちょっと視点を変えよう。デジタル作画をする人はペンタブや液タブを使うし、そのアプリでは線を補正したり、Undoで簡単にミスを消したり、レイヤーで色分けしたり、便利な機能が山ほどある。
それらはアナログ絵と比べると「作品制作を楽にする道具」であることは間違いないが、最終的に「どんな絵を描くか」はクリエイターの意志とテクニック次第だ。
AIはどうか? たとえばテキストで「このキャラが夕日に染まる海辺で逆光に映える感じ」みたいに指示すると、驚くほど短時間でそれらしいイラストを生成してくれる。修正をかけたいなら、さらにプロンプトを微調整したり、一部を加筆修正すればいい。
つまり、AIも一種の“道具”ではあるが、“自動生成”の域にまで突き抜けているところがペンタブ等とは決定的に違う部分。手描きで線を引く必要すらないから、「もう自分で描いたって言えるの?」というツッコミが出てしまう。
● 「自分で描いた感」は主体的なコントロール感と比例する
たとえばプロンプトを試行錯誤して、生成されたラフをさらにPhotoshopで加工して、何度もパーツを直す――このプロセスが長くて細かければ「それなりに自分が描いた(あるいは創作に深く関わった)」という満足感がある。
しかし、一切修正せず、AIが出したままの画像を「はい投稿!」というだけだと、「いや、それほぼAIの作品やん」と言われるのも仕方ない。
とはいえ、最終的には「どれだけ手を加えれば“創作の主体”として認められるか」なんて、はっきりした境界は存在しない。そこも人によって価値観が違う。「少しでも手を加えればオリジナルでしょ」と思う人もいれば、「99%がAIならそれはもうAIの作品」と断じる人もいるわけだ。
【4. “自分の言葉”かどうか:文章執筆でも似たようなジレンマ】
● 小説家がAIに手伝ってもらう時代
今では文章生成AIが当たり前に使われている。小説家やライターの中には、筋書きのアイデアをAIに尋ねたり、文章の言い回しを考えてもらったりする人がいる。
ここで「じゃあ、それは本当にその小説家が書いた物語なのか?」という問いが沸き起こる。
ある人は「構成の骨子だけ自分が考え、文章を推敲するときにAIのサジェストを受け取るけど、最終的に自分がOKを出すから自分の作品だ」と言うかもしれない。別の人は「それAIが考えたプロットをちょっといじっただけでしょ? 作者の個性ってどこにあるの?」と思うかもしれない。
● 書いた“感覚”と作品が“自分のもの”かどうかは別
キーボードを叩いて文字を生み出す手触りが好きな人は、「自分でゼロから書かなきゃ自分の文体にならない」と言うだろうし、リアルのペンで執筆する人もいるだろう。「どうやって作ったか」のプロセスを重視するか、「出来上がった文章に自分なりのメッセージや個性が込められているか」を重視するかで意見は変わる。
SNSで「AIが書いた文章なんて自分の言葉じゃないだろ」と非難される場合もあれば、「いや、AIはあくまで“補助ツール”にすぎなくて、本質的なストーリーや思想は自分が作ってる」という反論もある。ここも絵の話とよく似ている。
【5. そもそも、なぜ“自分で作った感”にこだわるのか?】
● 創作の“喜び”と“プライド”
実際のところ、多くのアーティストや書き手は「自分の手で生み出した」「時間と技術をかけて練り上げた」という実感を大事にしている。だからこそ、人類は何千年も芸術を愛し続け、職人的な技を尊んできた。
そこへAIが登場して、「誰でも、ちょっとテキスト打ち込むだけで美麗イラストor深い文章ができちゃうよ」となると、自分が費やしてきた努力や鍛錬が一気に軽く扱われるように思えて、抵抗感を抱いてしまうのは自然だ。
● 見る側だって“ストーリー”を求めている
作品と作者の人生や努力が重なったところに感動を覚える、というのは昔からある。たとえば、あるシンガーソングライターが自分の体験を歌詞に込めていると知れば、歌詞の説得力は増す。
AIイラストの「裏話」はどうなる? 「実は3時間ほどプロンプトの試行錯誤をしたんですよ」というのは、多くの人にとってはそれほどドラマ性を感じないかもしれない。
そういう部分が「騙された!」という感覚や、「AIの絵なんかに感動できるか?」という嫌悪感につながってる。一方で「作品が良いならいい」派は最初から“作者ストーリー”にあまり興味がないから気にならない。ここも価値観の分断がある。
【6. 「もういいよ!私、絵師辞める!」と言ってもAIは進化をやめない】
● AIの学習データは膨大
ある絵師さんが怒りにまかせて、「もう筆を折る。AIに学習されるの嫌だし、俺は作品なんか発表しない」と言って姿を消したとしよう。だが、ネットに残っている彼の過去の作品はすでに学習済みかもしれないし、今後も活用されるかもしれない。
そもそも既に世に出た数億・数十億枚のイラストが、学習用のデータとして取り込まれている。もはや一部のクリエイターが「出したくない!」と頑張っても、AIの進化は止まらない段階に来ている。
● 人間が描かなくなっても、誰かは描く
極端な話、「全人類の絵師がボイコットして作品を一切公開しない!」となれば、新たな学習素材が激減してAIの成長にも影響が出るだろう。だが、実際にはそんなことは起こり得ないし、むしろ時代が進むほど「AIを使いこなして新しい絵を描こう」とする人も現れる。
こうしてAIと人間が互いに影響し合い、新しい表現が生まれていくのが歴史の必然――そんな見方もある。「写真の登場で画家は消える!」と言われた昔の論争を思い出す人もいるかもしれない。結果的に写真というメディアは新しい芸術となり、絵画も独自の進化を遂げた。
【7. じゃあ、どこまでが“自分の表現”と言えるのか? 結局グラデーション】
● 道具は道具。最後は“選択”の問題
紙に描こうが、ペンタブを使おうが、AIに助けられようが、本質は「何を表現したいのか、どんな作品に仕上げたいのか」という点に尽きる。
・AIが出したアイデアや画像を100%そのまま使うのか?
・そこから自分の意志で編集・加工・再構築して「これが自分の作品だ」と思える状態に持っていくのか?
その差は大きい。AIの介在度が高くなり、手作業がほぼ皆無だと、「自分の言葉」「自分の絵」という感覚が薄れる人がいるのも当然だが、一方で「いや、AIが出してくれたものを俺なりのセンスと判断で取捨選択したから、十分オリジナルだ」と言い張る人もいる。どちらが正しいかなんて、正直、万人が合意できる回答はない。
● 絵でも文章でも同じ構造
- AIは膨大なデータを学習して、パターンを組み合わせ、変形させる。
- クリエイターはAIが吐き出したものをどう扱うか決める。
- そこにどれだけ自分の意図が反映されているかが、“自分の作品”だと思えるかどうかの境目になる。
つまり、行き着く先は「自分の中のクリエイティビティって何?」という根源的な問い。ツールがどんどん進化していくほど、この問いは濃厚になる。“人間がこねくり回す余地”が減るほど、作品へのコミットは減り、「自分の創作だ」と言い切れなくなる可能性もある。
【8. だからどうする? いくつかの落としどころ】
● 表記・タグでの“棲み分け”が自然に定着する?
今後、SNSやプラットフォームが「AI画像には自動的にマークが付く」みたいな機能を実装するかもしれないし、コミュニティの自主的なルールで「AI生成ならツイート本文に明記しよう」といった流れが起こるかもしれない。
そうなれば「騙された」と感じる人も減るし、AI側も堂々と「AIアートです!」と言って投稿できる。「でも、それだといいね数が落ちるから嫌だ」という人がいるなら、そこはまた新しい摩擦になるだろうが、少なくとも“表記”をめぐるトラブルは緩和されるかもしれない。
● 作品にストーリーを付加する方法
「AIで生成したラフをここまで加筆修正しました」というビフォーアフターを見せて、「実はこのキャラクターはこういう背景があって…」と解説することで、ファンは「なるほど、ただの自動生成じゃなくて工夫があるんだな」と思うかもしれない。
これは文章や小説でも同じで、「下書きはAIにプロットを出してもらったけど、そこからキャラ設定を全改変して自分のテーマを込めたんだ」という裏話があれば、読み手の理解は変わる。
● “手書き派”はむしろ希少価値を高める可能性も
もし将来的にAI生成が大量に氾濫したら、逆に「一切AIに頼らずに書いた手描き・手打ち作品」みたいなものが珍しがられる可能性はある。いわゆる“アナログ回帰”や“手作りの温もり”が評価される流れだ。これはファッションや音楽、食の世界でも起こりうる現象で、最新テクノロジーと真逆の手法が逆に注目されることがある。
【9. まとめ:最終的には“何を描きたいか、何を語りたいか”に尽きる】
AIイラストでも人力のイラストでも、小説家がAIを使って文章を書こうが、全部自力で執筆しようが――最終的には「それで何を描きたいの?」「何を伝えたいの?」が一番の核になる。
- 作品そのものの美しさや面白さが評価されるなら、AIか人間か気にならない人もいる。
- “誰がどんな想いで作ったのか”(背景・コンテキスト)を大事にする人は、AIだけでほぼ全自動の作品に価値を感じにくい。
- 著作権や学習データの無断利用といった問題は、法整備と技術の進歩によってまた立場が変わるかもしれない(数年後には、いま熱く議論していることが別次元の話になっている可能性もある)。
要はこういうことだ。
“創作”ってのは、ある種の衝動や欲求から始まる。そこにテクノロジーが加わろうが、結局は「どう生かすか」を決めるのは人間自身だってこと。
ペンと紙で描きたいならそれを選べばいいし、AIに任せたいならそれもアリ。自分がどんな道具にどこまで頼るか、そしてそれで生み出された結果に自分の“何”を反映するのか――クリエイターそれぞれが模索し続けるしかない。
とはいえ、道具の力があまりに強力になったとき、昔ながらの「自分の手足を駆使しているんだ!」という感覚は薄れがち。それを惜しむか、それとも新しい形のクリエイションを歓迎するか。それは人によって答えが違う。
最終メッセージ
- AIは確実に普及するし、その勢いは止まらない。
- どこまでが“自分の創作”かは道具の介在度で変わるが、それをどんなふうに扱うかは個々人の選択。
- 「筆やペンを一切使わずに描いても、道具にあれこれ頼って文章を書いても、それが“自分の声”だと感じるかどうかは、自分の内面次第じゃないの?」
一部の人には受け入れがたい未来だろう。それでも世の中は進んでいく。写真が登場したときに「絵画は死ぬ!」と騒がれたが、実際には写真と絵画はそれぞれ違う形で発展を遂げ、混在しながら文化を豊かにしてきた。AIと人間の関係もおそらく同じ道を辿るのだろう。
ただ一つ言えるのは、「自分は何を表現したいのか?」という問いが失われたら、どんな道具を使おうが中身のないアウトプットにしかならない。そこを見失わない限り、AIの台頭があっても“人間らしさ”が消えることはないはずだ。むしろ新しい表現手段が増えることで、創作はまだまだ豊かになり得る。
だからこそ、もし不満や不安があるなら、それをSNSでぶつけ合うだけで終わらせず、「じゃあ自分なりにどんなAI活用ができるか」「どんな形で自分の色を出せるか」を考えてみてもいいんじゃないか。あるいは、一切AIを使わない道を貫くのも選択肢だ。それでも構わない。いずれにせよ、私たちがどんな道具を手にしても、創作の本質は「自分が何をしたいか」。そこを知っている限り、何が起ころうとも“自分の表現”はある種の輝きを放つ。
――以上、AIイラストやAI文章をめぐる論争をきっかけに、「道具としてのAIと自分らしさ」に焦点を当ててみた。深い洞察とともに、今後の創作を考える材料になれば幸いだ。
【終わりに:さらに深めたい人へのヒント】
- 対立ばかりが目立つけど、実際には共存や折衷案もある。たとえば、AIにあらかた構図を作らせて、そこから人間が加筆・彩色するコラボレーション的スタイルがもう誕生している。
- 著作権問題や法整備はまだ過渡期。今後の裁判例や各国の法整備次第で「AIが吸い上げていいデータ」の範囲が変わる可能性がある。
- “手描き職人”や“AI生成物をさらにユニークに再構築できる職人”への需要も残る。デジタル技術が進んでも、アナログの良さや、人の工夫が入った表現の価値はなくならない。
- ユーザーリテラシーも問われる。AIに騙されたくないなら、疑問に思ったら調べる、作者の注釈を確認する、そういう自衛の姿勢が必要かもしれない。
結局のところ、AIに埋め尽くされようが、昔ながらの道具で創作しようが、創作の根幹は「何を描きたいか」「どんな言葉を使って伝えたいか」だ。そこにテクノロジーが何をもたらすかは、使う側の知性とセンス、そして意志にかかっている。
いつの時代も、新しい技術が生まれればそれを嫌う人と飛びつく人が現れる。最終的に淘汰されるものもあれば、文化として根付くものもある。**“AIイラストは終わりのはじまり”ではなく、むしろ“新たな創作ステージのプロローグ”**なんじゃないか――そう考える人も多いだろう。今この瞬間も、全自動化を受け入れつつ、人間ならではの視点をスパイスにした作品がどんどん生まれているのだから。
要は、技術に使われるのか、技術を使いこなすのか。そこを選べるのが、俺たち人間の特権だ。
――以上。長い議論、お疲れさん。
■追伸:ビジネスを自動化するための無料講座
「ネット集客と販売を自動化するなら, 最低限これだけは知っておきたい」という内容を1冊の教科書としてまとめました。
また, 最近のAIの台頭を受けて, これをどう捉え, どう使うかといった内容も加筆しています。
投稿者プロフィール
-
近況:Netflix, ゲーム, 旅, 趣味の日々。
■趣味
読書, 映画鑑賞, 音楽, 旅行
■ビジネス歴
・2011年9月頃にオンラインビジネスに参入
└ブログ, SNS運用, YouTubeなどの各ジャンルを経験
・オンラインビジネスチームへの参画
└各プロモーションのディレクター兼コピーライター,
他社へのコンサルティングなどを経験
└他社とのジョイントベンチャー(共同事業)
└海外スタートアップへの参加(コミュニティマネジメント, コピーライター)
■現在
・オンラインスクールの運営
・個人, 法人向けのマーケティング, 商品開発等のサポート
■考え方
バイト, 会社員, フリーランス, 経営者...などの働き方を経験した結果,
「群れるより1人で稼ぐ方がストレスが無い」と気づく。
現在は集客, 販売, サービス提供を仕組み化(自動化)。
■活動目的
「自由な人生を実現したい」
「ネットビジネスに興味がある」
「始めたけど結果が出ない」
という人へ最適解を提供。
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