AI(ChatGPTなど)

AI時代のデジタルドラッグを斬る: ショート派 VS ナラティブ派

Table of Contents

第一章:いま、何が起きているのか

1-1. ショート動画という“デジタルドラッグ”の台頭

TikTokやInstagram、YouTubeショートなど、数十秒程度で完結するショート動画がかつてないほど普及している。たった15秒~1分の尺で、面白シーンやビジュアルのインパクトを凝縮し、視聴者の気を引く。時間がない時でもサクサク見られる手軽さが、スマホ世代を中心に爆発的な人気を獲得しているのだ。

しかも、これらプラットフォームはAIレコメンド(おすすめ機能)を搭載し、ユーザーに刺さりそうな動画を次々と表示する。そうなると、時間を忘れてスワイプしてしまい、気づけば「あれ、いつから見てたんだ…」という状態になっている人も多いはず。
俗にいう“デジタルドラッグ”という言葉は伊達ではない。短時間の刺激が絶えず脳を刺激するから、次へ、次へと欲望が止まらない。ショート動画は、その“刺激無限ループ”を最もわかりやすく体現している。

1-2. AI生成が追い風を受ける理由

ここへ来てAI生成の技術が急激に発達しているのも大きい。「画像生成AIが一瞬でイラストを描く」なんて話はもう珍しくもないし、音声合成AIや動画生成AIまで出てきている。
ショート動画の世界だと、そもそも「短尺 × 手軽さ × 見た目重視」で勝負しているところがあるので、クオリティの“深み”よりも“瞬間的なインパクト”を重視しがち。だからAIにとっては格好の土俵となるわけだ。

たとえば、

  • 「人間が妖怪に化ける→元に戻る」みたいな変身モノを高速で生成
  • 不気味な映像やコラージュを連発
  • おもしろい動物動画を大量に合成して量産

…こういうのをガンガン自動で作れるなら、暇つぶしにはちょうどいい。それを人間がいちいち撮影・編集するより、AIがピピッと生成してしまうほうが速いしコストも安い。
結果として、「AIが作ったショート動画が無限に押し寄せてくる」世界がますます進んでいくわけだ。

1-3. “何も残らない”虚無感

しかし、ショート動画を連続視聴すると、ふと我に返ったときに「俺はいったい何を見てたんだ…?」という空虚感がのしかかることはないだろうか。
たしかに面白い。妖怪に変身する映像とか、ブリッと笑えるドッキリ系動画とか。だが、それらを1時間ぶっ通しで観たあとに、人生の糧になるような思考はあまり残らない。脳裏に焼き付くインパクトも少ない。何かが“心に刺さる”感じより、「時間が吹っ飛んだ」「手軽にドーパミンを摂取できた」感覚だけが残る。

そして少し後ろめたい気持ちになる。いわゆる“デジタルドラッグ”と呼ばれる由縁はまさにココにあって、「気軽に摂取できるが、あんまり人生を豊かにしてくれるわけでもない」という絶妙な快楽性と罪悪感を抱え込んでいるのだ。


第二章:ナラティブを求める層と“浅い”層の分断

2-1. コンテンツの二極化が始まっている

一方で、最近「アニメ・映画などの長尺作品はこれからも消えない」という話を耳にする人も多いはず。どっちなんだ? という疑問は自然に湧いてくる。

  • ショート動画が流行ってるんだから、長尺モノは廃れる
  • いやいや、腰を据えて観るタイプの作品にも根強いファンがいるから残る

結論からいうと、この両方が同時に進行している。要するに、「短尺で脳死の暇つぶしに最適なコンテンツ」と「高クオリティ&ナラティブ重視の長尺コンテンツ」の二極化が加速し、中途半端なモノが淘汰されやすくなる。

2-2. “ナラティブ”って何だ?

何度も出てくるこの「ナラティブ」という単語、要するに「物語性」「背景にあるストーリー」のことを指す。たとえば、

  • どんな作者がどんな思いで作ったのか
  • スタッフはどんな苦労や情熱を注いだのか
  • キャラや世界観の背景設定や歴史はどうなっているのか

そういった“舞台裏”や“作り手の魂”を含めてひとつのコンテンツを味わうのが、いわゆる「ナラティブを求める層」の楽しみ方だ。「この監督が作った作品だから、絶対観たい」「このスタジオの作画はアツいんだよ」という会話は、ナラティブの共有が前提にある。

対して、「面白ければ誰が作ったっていいし、別に裏話とか興味ないよ」という層もいる。ショート動画の“流動食”に満足しやすい層は、ある種この「ナラティブ軽視」の立場が強いと言えるかもしれない。誰が作ったかなんて関係なく、パッと見で笑えればいい──そんな感じだ。

2-3. オタクこそナラティブを求める?

「オタクは作品の裏設定や作り手の想いを熱心に考察するから、ナラティブを重視しがち」という見方もある。
たとえば、アニメ本編に出てこない世界設定まで追いかけたり、制作スタッフのインタビュー記事を読み込んだり、やたらディープな議論をSNSで交わすのは“コアなファン”の特徴だろう。そういう層ほど「誰が作ったか」「どう作ったのか」「どんな思想が込められているのか」をめちゃくちゃ大事にする。

だが逆に、「とりあえずキャラが可愛ければOK」「バトルシーンがカッコよければ十分」というライトオタクもいる。彼らはナラティブと無縁なわけではないにせよ、そこまで濃密には踏み込まない。オタクコミュニティのなかにも濃淡のグラデーションがあり、ある程度の分断が発生しているのは間違いない。

2-4. ショート動画と“浅い”大衆層の親和性

ショート動画文化圏とナラティブ重視層の間にはかなり大きな断絶がある──こう言われるのも無理はない。
「TikTokをずっと見てる若者なんて、何も考えてないんじゃないの?」とディスる人もいるが、そこには“暇つぶしを強く求める層”のニーズが確かにあるわけだ。

  • 通学・通勤中にチラッと見る
  • テレビやPCを立ち上げるのが面倒なときに手軽に楽しめる

こういったユースケースで、数秒~1分のショート動画が乱れ飛ぶプラットフォームは最強クラスに便利。深掘りする必要もないし、すぐ次の動画に移れるし、脳に負荷がかからない。

結局「ナラティブなんてめんどくさいから、気軽さ優先で十分」──そんな価値観は世の中に多く存在していて、これがショート動画コンテンツの大きな消費母体になっている。


第三章:AI生成コンテンツがもたらす分断の先にあるもの

3-1. 生成AI時代の“無限の量産”と“パーソナライズ”

AIが進歩すればするほど、コンテンツの生産コストは下がり、量は雪崩のように増える。画像生成AIや音楽生成AIが当たり前になれば「大量の作品がとにかく無限に溢れる」という事態が起こりうる。
さらに、それらを「1ユーザーに特化した超ニッチ趣味・嗜好」に合わせて自動生成することだって可能になるかもしれない。たとえば、

  • ○○というキャラをもっと幼く見せて
  • 戦闘シーンだけを強調して
  • 音楽は○○系のジャンルで

…といった要望をリアルタイムに反映するAIシステムが出てきたら、ほとんど“自分だけのドラマ”が作れてしまう。
これはめちゃくちゃ画期的に見えるが、裏を返せば「共有不能」という問題が出てくる。自分専用に最適化された作品は、他の人と“同じ内容”を経験していないから話し合う余地が薄くなるのだ。

3-2. “共感”の希薄化リスク

コンテンツというのは、しばしば「他人とのコミュニケーション」を加速させる装置として機能している。

  • 「昨日のドラマ、観た?」
  • 「あの漫画の最新刊、ヤバくない?」
  • 「あの映画のラストで泣いたわ!」

こういう会話が生まれるとき、同じ作品を複数の人間が共有し、「感情のシンクロ」や「考察のやり取り」が発生してコミュニティが盛り上がる。
しかし、一人ひとりが「完全パーソナライズ」されたコンテンツだけを見ていると、そもそも話題の共通項がない。どんなに素晴らしい作品でも、自分だけが見ているのであれば“良さ”を分かち合いようがない。そこにはコミュニティが生じにくい。

もちろん、「1対1の超個人快楽こそ至高」という人もいるだろうけど、多くの場合、“誰かと感想を語り合う”ことで喜びが増幅するのが人間の性(さが)だ。だから、いくらAIが完璧な作品を生み出しても、“他者が関与しない”状態では熱狂や共感が生まれにくい。

3-3. “少人数コミュニティ”への折衷案

とはいえ、完全パーソナライズと大衆共有の二者択一ではなく、「ニッチなコミュニティ規模」でAIコンテンツを共有するという折衷案も考えられる。

  • たとえば「○○ジャンルが好きな人100人」向けにAIが作品を生成し、その100人で熱狂的に盛り上がる。
  • 完全1対1よりは共有があるし、大衆アニメほど広域で“万人受け”を狙わなくてもいい。

これはイメージ的には、「100人のためのライブハウス」みたいなものに近い。各ジャンルごとに小さなクラスターが形成され、そこで熱狂とコミュニティが生まれる。AIによるパーソナライズは“ちょうどいい塩梅”に留まり、共有可能なラインを保つ……そんな世界観だ。


第四章:なぜ“人間クリエイター”はまだ必要なのか

4-1. AIだけでは生まれにくい“物語の核”と“魂”

いくら技術が進んでも、今のところ完全にAIポン出しで爆発的なファンダムを形成するのは難しい。これは「AIが作るときに明確な“人間の意志や情熱”が見えにくい」という点が大きい。
大衆向けデジタルドラッグはいいとして、深い物語体験を求める層は「作り手の熱量や魂」を求めている。たとえば、有名な映画監督やアニメーターが作品に込めた“こだわり”や“職人技”って、観る側に伝わるんだよね。「このカットに制作陣がどれだけ執着したか」が、妙な説得力を持ったりする。

AIは現段階では、その“人間臭い執着”を自発的に持たない。よほど精緻なプロンプトで人間が導かない限り、「これはあくまで機械が組み合わせて生成したもの」という印象から離れられない。逆に言えば、「AIは補助的に使うけど、要所要所の演出やエッセンスを人間がガッツリこだわる」というハイブリッドな形がベストになるかもしれない。

4-2. 有名クリエイターのブランド力は不滅

また、「誰が作ったか」はコンテンツ消費の大きな決め手になっている。というより、AI時代になればなるほど、この“人間ブランド”はますます高まる可能性すらある。
大量に供給されるAI作品の海のなかで、「あの監督が新作を作った」「あのスタジオが手がけた」と聞けば一気に目立つ。結局、「誰かがどう在って作り上げたか」を知ることは、コンテンツを味わう上でのスパイスというか、“付加価値”になり得るからだ。
ショート動画の世界でも、“この人のチャンネルが好き”という形でクリエイター推しをするファンはいる。ただ、それがさらに顕著になるのが長尺作品や大規模なプロジェクトだろう。

4-3. AIで短尺は増えるが、長尺型の“総合芸術”も生き続ける

AIによって低コスト化が進み、短尺向きのコンテンツが量産される未来はほぼ間違いない。その一方で、長尺コンテンツは“ブランドやナラティブ”が強いから、依然として一定の熱狂を生む。

  • “それなりに面白いだけの長尺作品”は淘汰されるかもしれない
  • “魂のこもった高クオリティ作品”はむしろ生き残る

ここがポイントで、「中途半端に作った作品はショート動画にも大作にも挟まれて消える」という二極化のシナリオが見えてくる。


第五章:ショート動画を観た後に“虚無感”が残る理由

5-1. 人は“何かを得たい”わけでもないのにスワイプし続ける

ショート動画で情報を追うとき、多くの場合は「濃厚な学びを得たい」「深い感情の起伏を味わいたい」と思ってスワイプを始めるわけではない。どちらかといえば、「暇だし」「ちょっと気を紛らわしたいし」という軽いモチベーションが大半だ。
これが良い悪いではなく、究極の“暇つぶし”としてショート動画が優秀なので、そこを求めるユーザーが多いだけだ。

5-2. “刹那的なカタルシス”の限界

ショート動画1本あたりの情報量は少なく、脳に与える刺激は刹那的。爆笑系、ちょっとビックリ映像、かわいい動物etc.… どれも数秒~数十秒で次に移れる利点がある代わりに、「物語の余韻」とか「深い考察」は生じにくい。
だから見終わったあと、「あれ、何を見てたんだっけ」となる。しかも延々スワイプして気がつくと30分とか1時間とか経過している。その“時間泥棒”ぶりに気づくと、後ろめたさを抱く。

5-3. 「虚無感→罪悪感」の正体

ショート動画で感じる“虚無感”は、ある意味“何も残らない消費行動”への反動とも言えるかもしれない。
人間は、自分が何かを得たり、学んだり、深く感動したりすると、そこに達成感や満足感を覚える。でもショート動画をダラダラ観ている時間って、それを得にくい。だから「結局、ただ時間を潰しただけなんじゃ…?」と気づいた途端、ちょっとネガティブな感情が芽生えやすい。
無論、暇つぶしに徹するのも立派なニーズだから、「そんなもん気にしなくていいじゃん」という声もあるだろう。実際、罪悪感を特に感じない人もたくさんいる。ただ、それを“後ろめたい”と感じる人は一定数いるのが現実だ。


第六章:対比として「ゲーム」「音楽」「読書」でも起きてきた現象

これまでの考察は「映像コンテンツ」についての話が中心だが、実は他ジャンルでも似たような二極化の話が見られる。ここでは、いくつかの例を紹介しよう。

6-1. スマホゲームとコンシューマーゲームの二極化

ゲーム業界では、スマホで遊べる“カジュアルゲーム”が爆発的に増えた。スタミナ制やガチャがメインで、短時間でちょっと遊んでは閉じ、また暇なときに起動する。そんなスタイルにフィットする層が世界中に広がった。
同時に、ハイクオリティなコンシューマーゲーム(長編RPGや高密度のオープンワールドなど)は、まったく別の市場で根強い人気を誇る。カジュアルゲームで十分な人と、本格派ゲームに没頭する人が分かれており、むしろ中途半端なゲームが埋もれやすくなる……って構図は、ショート動画 vs. 長尺アニメの話と重なる。

6-2. “BGM消費”の音楽と、ライブ・フェスでの熱狂

音楽もまた、ストリーミングサービスで簡単に飛ばし聴きできる時代になった。すぐスキップ、すぐ別の曲、1曲丸ごと聴かない――みたいな“BGM的消費”が当たり前になりつつある。
一方で、ライブや音楽フェスでは大規模なコミュニティ熱狂が生まれる。“同じ空間で同じ曲を共有している”という体験が大きな価値になるわけだ。これも、“ショート動画の脳死消費”と“長尺作品のコミュニティ共有”に近い構図だろう。

6-3. 流し読みコンテンツと“濃い読書”の落差

ネットニュースやSNSを流し読みするだけで、情報収集した気になれるが、あとに残るものが少ない……という感覚は多くの人が経験しているだろう。一方、「しっかり時間をとって本を読み込んだら、自分の世界観がガラッと変わった」という体験談もある。
要は、「サクッとつまむ消費」と「がっつり没入する読書」との違い。どちらも必要な側面があるのは間違いないが、やっぱり中途半端な読み物は埋もれがち、という話につながる。


第七章:AI生成の未来と“共有体験”の行方

7-1. 二極化に対して大衆はどう動く?

おそらく今後は「ショート動画や軽めのAIコンテンツをひたすら消費する層」と「深いナラティブや共有体験を求める層」の分断がさらに鮮明になる。

  • “浅い”層: 暇つぶしが主目的、基本はパッと見て笑えればOK。誰が作ったかなどあまり興味がない。AI量産コンテンツとの相性が最高。
  • “深い”層: 作り手のこだわりや世界観に強く惹かれ、ファンダムの熱狂やコミュニティでの盛り上がりを求める。クリエイターの手仕事やストーリーの作り込みに価値を置く。

現状でもこの構図はあるが、AIの進化によって「浅い消費コンテンツ」側の量が圧倒的に増えるため、ますます後者の立場が際立つはずだ。その一方で、後者が完全に消えることはあり得ない。「本格的に誰かと語り合う楽しみ」を好む人たちは一定層存在するからだ。

7-2. ショートAI動画は“沼”化し、長尺コンテンツのパイは縮む?

ショートAI動画はレコメンドアルゴリズムと相まって、圧倒的な“沼”をつくる可能性がある。その場で消費されては次へ、次へと流れていく大量のコンテンツが、「あまり考えずにタップし続ける」という行動パターンを習慣化させる。
結果的に、「長尺作品を観る意欲が落ちる人」が増える可能性はある。なぜなら、長尺にはそれなりの集中力や時間を要するし、一種の“体力”が必要だからだ。

とはいえ、だからこそ「長尺コンテンツを観る」こと自体が逆に“特別な体験”になっていくとも考えられる。自分で時間を確保して、重厚な世界観にどっぷり入りたい人は、そこにこそ価値を見出す。
一方、「興味はあるけど、なんか気力がわかなくてショートだけ見てしまう」層も確実にいて、そちらが今後の大多数になりかねないのが現実的なシナリオだ。

7-3. “AIキャラとの疑似共有”という新しい潮流?

将来的には、「人間同士が語り合う」以外に、「AIキャラと語り合う」みたいなエンタメ形態も出てくるかもしれない。すでにチャットボットやVtuberの形で萌芽があるが、「AIキャラがSNS的に投稿し、ユーザーがそれを応援する」「AIキャラ同士がコラボして二次創作的に世界観を拡張する」といった世界だ。
そこでは“人間のファンコミュニティ同士”というより、「AIキャラを推すことそのものが楽しみ」みたいな構図も十分考えられる。ちょっとSFじみているが、既にその予感はある。


第八章:起きうる未来?

ここで、あえて大胆な世界線を考えてみる。この流れが進めば進むほど、「人間はコンテンツの奴隷になる」可能性すらある。
どういうことか?

  • AIが超大量の“それなりに面白い”ショート動画をばら撒く
  • 人間はその“刺激”に飢えているからこそ、暇さえあればスワイプし続ける
  • 深く考えずに済む&手軽にドーパミンが出るので、やめられない

そうすると、作り手(人間クリエイター)の重要性は薄れ、一部の“機械と人間のハイブリッドクリエイター”や“AIを支配できる少数の人間”だけが目立つ形になるかもしれない。
大多数の人間はコンテンツの“消費者”というか“消費される者”になる。だが、この状況を認めたがらない人も多いのではないだろうか。
「AIなんてしょせん機械なんだから…」と否定したり、「人間クリエイターが一番だ」と言いたがるのは、ある意味では自己防衛本能かもしれない。
要はこういうことだ――いくら否定しても、AIコンテンツは日常にさらなる浸透を遂げ、暇つぶしの欲望を満たしてくれる。人間はその誘惑を完璧に断ち切れない。


第九章:それでも“心を揺さぶる”ものを求める人間

とはいえ、人間の本質には「他者との共有」で得られる熱狂があるし、「作り手の魂」にこそ胸を打たれる性質もある。
「何も残らない時間つぶし」に罪悪感を感じる人がいるのは、その“心の奥”が「もうちょっと感情を動かす体験がほしい」と叫んでいるからかもしれない。

9-1. 結局は使い分け?

結局、ショート動画で気軽に暇を潰すのもいいし、長尺作品でしっかり物語を味わうのもいい。そこに優劣はない。

  • 平日の空き時間:ショート動画で脳をリフレッシュ
  • 週末や休日:集中して長尺の映画やアニメを観て、余韻に浸る

こんな使い分けでバランスをとる人も増えるだろう。
AIコンテンツを否定する必要はないが、これに埋もれてばかりだと「ちょっと物足りない」と思うタイミングがくる。そんなときに人間クリエイターの力の入った作品が輝くわけだ。

9-2. コア・ファンダムの価値

さらに、自分と同じ作品を愛するコミュニティに接続すれば、「共感や議論」を通じて何倍もの満足度を得られる。ここでは、AIコンテンツだろうが人間クリエイターだろうが、“共有できる仕掛け”があるかどうかが重要になる。

  • 同時鑑賞会やSNS実況
  • ファン同士の二次創作や考察
  • オフ会やコラボイベント

そうした“場”があると、人間はやっぱり楽しみを深められる。だからファンダムやコミュニティは今後も続くし、ナラティブを持つ大作コンテンツは一定の強さをキープするはずだ。


第十章:じゃあどうする?

ここまでの話を踏まえて、「じゃあ自分はどう行動すればいい?」と思うかもしれない。
以下はあくまで一般的なヒントだが、ちょっとした指針としてまとめてみる。

  1. “暇つぶし”と“没入体験”を意識的に区別する
    • ショート動画を漁るのもいいが、その後どこかで一旦区切りをつける。
    • 長尺作品は「この作品を観る」と決めて、時間を確保して腰を据える。
    • こうするだけで、ダラダラショート動画を見続ける状況から脱しやすくなる。
  2. ナラティブを味わいたいなら“裏話”や“制作背景”にも触れる
    • 公式インタビューやクリエイターの発信をチェックして、作り手のこだわりを知ってみる。
    • 自分が気に入ったコンテンツがどんな意図や背景で作られたかを探ると、より深く楽しめる。
  3. コミュニティに参加するor自分で作る
    • SNSで作品のファンダムを探してみるのも手だ。自分ひとりでは気付かなかった魅力を発見できる。
    • 何か創作して発表したり、語り合う場をネット上で立ち上げてもいい。
    • “共有”の価値はバカにならない。
  4. AIコンテンツは使いこなし次第でクリエイティブの助けになる
    • 「自分でイラストを描きたいがアイデアがまとまらない」ときに、AIを発想のトリガーにしてみるとか。
    • ただし、“全部AI任せ”にすると自分の表現が埋没してしまうリスクがあるのでバランスが大事。
  5. “好き”に素直になる
    • ショート動画が好きなら好きでいいし、長尺作品の濃さが好きならそれを存分に楽しめばいい。
    • ただ、「なんとなくダラダラ」しているうちにモヤモヤが募ってくるなら、ちょっと別のコンテンツに切り替えてみるのもアリ。

結論:AI時代、二極化していく消費スタイルと人間の欲求

ショート動画のデジタルドラッグ性は今後さらに強まり、AIが供給過剰なくらい量産し始めると、“浅い刺激”に浸る大衆は一層増えるだろう。退屈なとき、スキマ時間、ストレス解消としては最強の暇つぶし手段だ。
一方で、人間は根源的に「他者と感情を共有したい」「物語の芯に触れたい」という欲求を捨てきれない。だからこそ、クオリティの高い作品やナラティブ性の強いクリエイションは、AI時代でも消えるどころか“稀少性”を帯びて残り続けると思われる。

それら“魂を揺さぶる作品”に出会ったとき、人はまたファンダムに熱狂し、コミュニティでわいわい盛り上がり、深い感情のうねりを手に入れる。そういう“濃厚な体験”を求める人は、インターネットがどれだけ普及しても、ショート動画がどれだけ席巻しても一定数はいる──というか、むしろAIコンテンツの氾濫が進むほど、“人間臭さ”の価値は相対的に大きくなるのかもしれない。

要はこういうことだ。「みんながデジタルドラッグに溺れるからこそ、本当に心を打つナラティブが、ますます尊い存在になる」
このパラドックスが、これからの時代をおそらく面白くするだろうし、同時にある種の“格差”も広げていくのだろう。


まとめ:

  • ショート動画は“脳死”で楽しめる一方、見終わるとちょっと虚無感も残りやすい。
  • AI生成の短尺コンテンツは爆発的に増える見込みで、人々はさらに暇つぶしに困らなくなる。
  • しかしナラティブ(物語性)を求める層もなくならず、むしろ二極化が進行。
  • “誰がどう作ったか”に興味を持つコミュニティは依然として熱狂しうるし、そこにこそ価値を見いだす人も多い。
  • 完全パーソナライズされた作品は共有感が薄いので、コミュニティを形づくるには工夫が必要。
  • 最終的には、ショート動画(AI大量生産)と長尺型ハイクオリティ作品が共存し、中途半端なコンテンツが淘汰されていく構図。

どちらが良い・悪いではない。暇つぶしは暇つぶしで必須だし、エンタメは多様性があってこそ盛り上がる。
ただ、その真ん中にいる私たちが「どのコンテンツにどれだけ時間を割くか」を考えないと、本当に自分が得たいものが得られないまま、気づけば“時間泥棒”されているかもしれない。

そこを意識して、ショート動画を楽しむときは楽しむ、ちゃんと腰を据えて長尺コンテンツを観るときは観る。コミュニティで盛り上がりたいなら盛り上がる。
そうやって、自分の欲求に素直に行動していくのが、AI時代のコンテンツ消費と上手に付き合うコツなんじゃないかと思う。


おまけ:

  • 「ショート動画に飽きたら、あえて“長尺作品を1本だけじっくり観て感想を文章にまとめる”」という習慣をつけてみると、思考力が磨かれるし、ナラティブを感じ取る力も養われる。
  • AIにばかり頼るのではなく、自分で何か小さな創作をしてみると、クリエイティブの楽しさを再発見できる。
  • コミュニティを探すときは、レビューサイトやSNSに埋もれているが、実はどのファンコミュニティもメンバー募集中だったりする。思わぬ楽しみが見つかるかも。

いずれにせよ、この先もAIはどんどん進歩し、ショート動画はさらに“脳への快楽を効率よく提供”する方向へ発展していくだろう。だからこそ、**「何を求めているのか?」**を問い続ける必要がある。
暇つぶしだけでもいいし、人生を豊かにするような物語との出会いを目指してもいい。
ただ、せっかく新時代に突入するなら、「結局は、自分にとってどんなコンテンツ体験が幸せなのか」を見極める眼を持ちたい。

過激な言い方をするなら、**「AIはもう止められない。だったらどうやって自分の感性と欲求を守るのか?」**という視点が問われるわけだ。ぼんやりしていると、気づかないうちにあらゆる選択をAIレコメンドが奪っていき、人生の時間を飲み込まれていくかもしれない。

だが逆に言うと、「AIを取り入れつつ、自分ならではの感覚を研ぎ澄ませる」ことができれば、ものすごくクリエイティブな時代でもある。AIが“平凡なコンテンツ”を量産する中、そこに“人間のこだわり”を注ぎ込めば、ちゃんと作品やコミュニティの核になり得る──そんな可能性は十分にある。

そんなふうに、AIと人間、ショート動画と長尺作品、暇つぶしとナラティブ。これらが複雑に絡み合いながら進化するのが、まさにこれからのエンタメ時代と言えそうだ。

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投稿者プロフィール

そうた
そうた社会を静観する人
近況:Netflix, ゲーム, 旅, 趣味の日々。

■趣味
読書, 映画鑑賞, 音楽, 旅行

■ビジネス歴
・2011年9月頃にオンラインビジネスに参入
└ブログ, SNS運用, YouTubeなどの各ジャンルを経験

・オンラインビジネスチームへの参画
└各プロモーションのディレクター兼コピーライター,
 他社へのコンサルティングなどを経験
└他社とのジョイントベンチャー(共同事業)
└海外スタートアップへの参加(コミュニティマネジメント, コピーライター)

■現在
・オンラインスクールの運営
・個人, 法人向けのマーケティング, 商品開発等のサポート

■考え方
バイト, 会社員, フリーランス, 経営者...などの働き方を経験した結果,
「群れるより1人で稼ぐ方がストレスが無い」と気づく。
現在は集客, 販売, サービス提供を仕組み化(自動化)。

■活動目的
「自由な人生を実現したい」
「ネットビジネスに興味がある」
「始めたけど結果が出ない」
という人へ最適解を提供。

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